高田城は現在の新潟県上越市本城(もとしろ)町にあった城である。
徳川家康の六男、松平忠輝の居城として天下普請によって造られた。
城地の縄張りと工事の総監督は忠輝の舅の伊達政宗である。
高田城は、高田平野にある菩提ヶ原に築かれた平城である。
約230メートルから約220メートル四方の本丸を取り巻くように二ノ丸、南に三ノ丸、北に北の丸を配し、関川、青田川などを外堀として利用した。
すべての曲輪に土塁が採用され、石垣は築かれなかった。
低湿地に築城されたため排水設備が重視され、城地には現在の技術水準から見ても遜色ない暗渠が張り巡らされていた。
天守はなく、1614年に3重3階の三階櫓を建てて天守の代用とした。
当時の三階櫓の外観は不明で、江戸城の富士見櫓に似た外観であったと伝えられている。
明治以降、陸軍の駐屯地として使用するために大規模な土塁の撤去、堀の埋め立てが行われ、旧城地の東半分は旧状をとどめていない。
本丸を含めた西半分には堀、土塁の一部が残されており、現在は公園として整備されている。
1610年 - 徳川家康の六男、松平忠輝が信濃川中島から福島城に60万石で入封。
1614年 - 忠輝が福島城を廃し、高田城を建築。
1616年 - 忠輝改易。酒井家次が上野高崎10万石から移封(10万石)
1618年 - 家次の子・忠勝が信濃松代に転封。松代藩主松平忠昌が高田25万9千石となる。
1623年 - 忠昌、越前福井藩50万石を相続。高田から移動。
1624年 - 松平光長が26万石で立藩。
1665年 - 高田地震により建造物倒壊。三階櫓を建設。
1681年 - 越後騒動により、光長改易。
1685年 - 稲葉正往が相模小田原10万2千石から移封、10万3千石。
1701年 - 稲葉正往、下総佐倉に国替え。佐倉の戸田忠真が交換移封6万8千石。
1710年 - 戸田忠真、下野宇都宮に移封。松平定重、伊勢桑名から移封。11万3千石。
1741年 - 松平定賢、陸奥白河に移封。
1742年 - 榊原政永が播磨姫路から15万石で入封。
創藩当時の高田藩は親藩の大藩である越前福井藩と共に、加賀前田藩を丁度挟むような形で押さえ込む配置となり、
幕府にとって重要な位置づけとされていたが、泰平の世が続き、前田家と将軍家も縁戚を重ねるなどしたため、次第にその役割は小さなものとなっていった。
元来気候の厳しい北国であること、松平忠輝の改易や越後騒動など相次ぐ事件の舞台であったことなどによって、
幕府や諸大名にとって高田藩は負のイメージを抱かせるものとなり、江戸中期以降はしばしば親藩、譜代大名で不始末を犯した大名の懲罰的な転封先、
いわば「座敷牢」のような位置づけが強くなった。
1870年(明治3年)に本丸御殿、三階櫓などを焼失。
1873年(明治6年) 廃城令によって存城処分となり焼失しなかった建造物も取り壊された。
陸軍の入城時に3000本を超す桜(染井吉野)が植栽され、現在でも日本三大夜桜のひとつに数えられる。
残された堀には失職した旧士族のための殖産策として蓮根栽培が行われ、現在では外堀の大半が蓮に覆われている。
水質問題などから商品作物としての蓮根栽培は中絶したが、開花時期には毎年「蓮まつり」が開催されている。
蓮研究の第一人者である東京大学農学部教授、大賀一郎が昭和28年に調査に訪れた際には、繁殖域の大きさ、育成の状況を「東洋一の蓮」と評価した。
新潟県指定史跡。上越市発足20周年記念事業として、焼失した三階櫓を1993年に復興した。
2002年(平成14年)、高田城築城当時、二の丸から本丸に渡っていた極楽橋が発掘調査の資料をもとに再建された。
再建工事中に土中から旧極楽橋の木杭などの遺構が出土した。
1870年(明治3年)三階櫓が焼失して以降、城郭は土塁と堀が残るのみであったが、
城跡の高田公園自体が風光明媚であり市民の憩いの場として、また観光地として、シンボルの復活を望む声があった。
これに応える形で上越市が1993年(平成5年)に再建した三階櫓は、外観を松平光長「本丸御殿図絵」、規模を稲葉正通時代の「高田城図間尺」を基にして復興された。
内部は鉄骨構造であるが、随所に木材を使用し木質感を再現している。最上階天井は本格的な木組みとしている。
1、2階は展示室、3階は展望室として利用されている。
60万石(一説には75万石)の大名の居城であるにも関わらず石垣を築かなかった理由としては、
などの説がある。なお、明治初年に本丸付近を撮影したとする写真が近年発見されているが、これには石垣が写っている。
また現在、城址公園に「本丸御殿の礎石」として保存されている石材の中には建築物の礎石としては不自然な大きさ・形状のものが含まれており、
これらを根拠として、少なくとも本丸には石垣が築かれたのではないかとの説もある。
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