新潟の温泉

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    弥彦温泉

    弥彦温泉(やひこおんせん)は、新潟県西蒲原郡弥彦村(旧国越後国)にある温泉。

    アクセス

    鉄道:上越新幹線燕三条駅下車。弥彦線乗り換え弥彦駅下車
    車:北陸自動車道三条燕ICより国道289号線で弥彦方面へ
    飛行機:新潟空港よりシャトルバスで新潟駅下車。新潟駅より越後線で吉田駅経由、終点弥彦駅下車。

    泉質

    アルカリ性単純温泉(弥彦湯神社温泉)

    温泉街

    弥彦山の東、弥彦神社の門前に温泉街が広がる。旅館、ホテルは18軒存在する。
    弥彦神社もあることから、飲食店や土産物屋が温泉街には多く存在する。
    共同浴場は1軒存在する。「高齢者総合生活支援センター」である。
    競輪事業の収益金で作られた。但し、温泉街からは2kmほど離れたところにあり、源泉も異なる。(泉質:硫黄泉。源泉温度43℃)
    観音寺温泉より引湯している宿もある。

    歴史

    古くから、弥彦神社の門前町として栄えた。
    検地資料などから、江戸時代から温泉があったことがわかっているが、現在の弥彦温泉と同じ水脈であったのかは不明。
    その後枯渇したものと思われるが、その時期についても正確な記録は残っていない。
    昭和35年に新たに源泉をボーリングして温泉を開発した。
    開湯から3年後の昭和38年4月23日 - 厚生省告示第203号により岩室温泉とともに国民保養温泉地に指定。
    近年になり源泉が枯渇し、隣接している観音寺温泉より湯を引いていたが、麓地区に湯量豊富な源泉が開発され、
    それを利用した高齢者総合生活支援センターが作られ、それ以外の民間主導の開発が進められている。
    平成19年11月に新たに源泉をボーリングして弥彦湯神社温泉を開発した。

    越後湯沢温泉

    越後湯沢温泉は、新潟県南魚沼郡湯沢町(旧国越後国)にある温泉。
    川端康成の名作『雪国』の舞台になった温泉町である。単に湯沢温泉と呼ばれることもある。
    なお、新潟県には他にも岩船郡関川村に湯沢温泉がある。

    アクセス

    鉄道 : 上越新幹線、上越線越後湯沢駅下車すぐ。

    泉質

    単純弱アルカリ性・低張性・高温泉の単純温泉や硫黄泉・塩化物泉などいくつかの泉質の異なる源泉井がある

    効能

    中風、胃腸病、外傷、婦人病、リューマチ

    温泉街

    元は湯元温泉地区のみの静かな湯治場だったが、上越線開通後(昭和6年)新たな源泉井が掘られ、
    その後上越新幹線が開通してスキー客・リゾート客が押し寄せるようになり、リゾートマンションが林立した。
    風情が失われたことを嘆く向きもある。

    歴史

    平安末期、高橋半六(高半旅館祖)の温泉発見より(自然湧出毎分約300リットル)始まった現湯沢町の歴史は、その後温泉湧出地名 湯ノ沢から湯沢となる。
    江戸時代には三国街道の宿場町へと発展していく。
    寛文6年(1666年)に、保科正之によって編纂された『会津風土記』によれば、承保3年(1076年)には既に温泉があったとされる。
    温泉地としての繁栄が始まるのは上越線開業後である。
    上越新幹線大清水トンネル工事を行った際、一部源泉で湯量減少や源泉枯渇が発生した。
    その際、昭和54年に日本鉄道建設公団により、4億4,700万円かけて集中管理システムが補償として整備された。

    赤倉温泉

    赤倉温泉(あかくらおんせん)は、新潟県妙高市(旧国越後国)にある温泉。スキー場が有名で、この地域では随一の温泉街を形成する。

    アクセス

    鉄道 : 信越本線妙高高原駅よりバスで約15分。

    泉質

    硫酸塩泉、炭酸水素塩泉

    温泉街

    妙高山の山腹に位置する。
    江戸時代の湯治場から、明治以降はスキーリゾートとして本格的に開発された。
    日本でも有数の規模を誇る赤倉温泉スキー場を抱える。
    民宿や山荘などのリーズナブルな宿から、老舗旅館や高級リゾートホテルといった、幅広い宿泊施設を有する。
    立ち寄り施設としては、滝の湯という露天風呂が存在する。
    開湯170年を記念して1986年に造られた。
    足湯に入れる足湯公園もある。
    宿泊施設によっては、入浴のみの利用も可能なところがある。

    歴史

    長らく、霊山妙高山の一角として一般の入山は禁じられて来た。
    1814年に地元民が開発を高田藩に願い出し、翌1815年に開発が許可。
    1816年に実際の開発に着手、引湯に成功した。
    運営を高田藩が担当する、日本唯一の藩営温泉であった。
    開湯から数年で10軒ほどの温泉街が形成された。
    明治、大正期を通じ発展していく。
    尾崎紅葉、岡倉天心、与謝野晶子らの文人も赤倉を訪れた。
    尾崎は自著「煙霞療養」で赤倉を絶賛した。
    岡倉は赤倉をこよなく愛し、この地につくった別荘で永眠した。

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