新潟の美味しい食べ物

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    魚沼産コシヒカリ

    魚沼産コシヒカリ(うおぬまさんこしひかり)は、新潟県魚沼地域(4市3町)で収穫されるイネの品種コシヒカリの米の産地ブランド。
    環境条件がコシヒカリの最適生育条件に近く農業技術も生産農家の栽培技術向上により、
    日本穀物検定協会の米食味ランキングでは1989年(平成元年)より23年連続「特A」認定と国内最高評価の良質米である。

    沿革

    1944年(昭和19年)- 新潟県農業試験場(長岡)で、農林1号(父本)と農林22号(母本)の人工交配で誕生。
    1948年(昭和23年)- 農林省福井農事改良実験所に雑種第3代(F3)20株を配布、選抜・固定化。
    1953年(昭和28年)- 系統名が「越南17号」になる。魚沼で試験栽培が始まる(魚沼コシヒカリ発祥之地、南魚沼市中子新田)
    1955年(昭和30年)- 新潟県奨励品種に採用。
    1956年(昭和31年)- 「農林100号」として農林ナンバー登録、命名は「コシヒカリ」(越の国に光輝く米)
    1991年(平成3年)- しおざわ農業協同組合がコシヒカリ偽造米袋事件で告訴する。
    1995年(平成7年)- 自主流通米市場に別立て上場。
    1998年(平成10年)- 魚沼コシヒカリ発祥地石碑建立(宇津野)
    2000年(平成12年)- NHK「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」で「うまい米が食べたい」コシヒカリ・ブランド米の伝説が放映。
    2005年(平成17年)- 魚沼コシヒカリ誕生50周年式典挙行。
    2006年(平成18年)- 「名稲会」会員になる(津南町、桑原健太郎)
    2008年(平成20年)- 「農業技術の匠」に選定される(南魚沼市、今井守夫)
    2009年(平成21年)- 「名稲会」会員になる(南魚沼市、笠原勝彦)

    気候

    越後平野は、対馬海流の影響で冷害がなく日本海側気候のため、夏季に晴天日が多く日照時間が長いため登熟は良いがフェーン現象が出穂期にあると、登熟障害になる。
    魚沼は、盆地のため気温の日較差が大きくイネの消耗が少ないため澱粉の蓄積条件が良く大粒の良質米ができる。
    登熟期間の平均気温はコシヒカリの最適登熟気温(24℃)に近い地域のため、食味に関係する澱粉のアミロース含有率が低くなり粘りが増す。
    最近は猛暑と温暖化の影響で標高300m〜400m地域(南魚沼市上田地区南部・湯沢町・津南町)の品質向上が注目されている。

    水量・水質

    豪雪地帯のため、水量豊富で水質の良い冷水が夏の時期にも田んぼに入る用水は、透明度と溶存酸素値が高く、窒素燐酸などの有機物の汚染が少ない。

    土壌

    火山灰土・黒ボク土が広く分布して下層にはレキ層が点在、魚野川・破間川・信濃川の河岸段丘や扇状地に広がる沖積土壌のため、土壌窒素供給力が小さく生育初期の養分供給が少ないため生育過剰が抑制されるのでコシヒカリの栽培に適している。

    栽培条件

    コシヒカリの弱点である、耐倒伏性・いもち病抵抗性に対応した栽培技術では耐倒伏性の欠点は、多肥栽培でなく肥料を抑制するため食味向上になり、
    いもち病対策としては「コシヒカリBL」に更新して抵抗性があるため、低農薬栽培になっている。

    イタリアン

    イタリアンとは、新潟県中越地方・下越地方独自のファーストフード・ジャンクフードの一種である麺料理。
    カフェテリア型のチェーン店で販売されている。

    実態は、名前から想像されるスパゲティの類や、具にもやしやキャベツを用いた焼きそば・焼きうどんの類ではなく「洋風ソースかけ焼きそば」と表現すべきものである。

    原材料は焼きそば同様に蒸した中華麺である。
    太めの中華麺とキャベツ、もやし等を多めの食用油で炒め、ソースなどで味付けを施す。
    このソース焼きそばに様々な具材が入ったトマトソースを上掛けしたものがイタリアンである。
    塩気は比較的控えめで、トマトソースの甘味と酸味が前面に出た味わいとなっている。
    上掛けするソースはトマトソースの他、カレーソース、ホワイトソース、エビチリ、麻婆豆腐などがあり、
    更にハンバーグやオムレツ、チーズ、鶏の唐揚げ等をトッピングしたものなど、種類が多い。

    新潟県民の中でも、とりわけ新潟市を中心とする下越地方と、長岡市を中心とする中越地方の在住者の間では長年にわたって浸透しており、
    中には県外に出て初めて「新潟だけの食べ物」と気付く者もいる程である。

    発祥

    1959年、新潟市(現中央区)の甘味喫茶「みかづき」のオーナー経営者であった三日月晴三は、
    箱根での経営者セミナー受講のために上京した際、東京都中央区京橋の甘味処「中ばし」で、大阪風の焼きそばをアレンジしたソース焼きそばに遭遇した。
    三日月はこれにヒントを得て、イタリアンスパゲティのイメージを取り入れ、フォークを用いて食べるスタイルの「イタリアン」を考案したとされる。
    この新しいファストフードは翌1960年からみかづきのメニューに加えられ、昭和30年代後半に地元で普及し始めた。

    長岡市の甘味処「フレンド」(当時の社名は「長岡饅頭本舗」)経営者の木村政雄は同じ商業セミナーで学ぶなど、三日月と親交があった。
    当時の両社の商圏は新潟・長岡両市内に限られ、競合の恐れがなかったことから、こちらもみかづきに続いて「イタリアン」を販売するようになった。

    みかづきではイタリアン発売開始の翌年、新潟市内の小学校で開かれた文化祭のバザーに模擬店を出店してイタリアンを売り出したところ、
    口コミで評判が広まり、みかづきの売り上げの中心を占めるメニューへと成長した。
    その後両社は麺や具材の一般向け販売や、イベントの模擬店への出店協力も行った。
    こうした影響から1960年代後半以降、中越・下越地方で学校の文化祭やバザーなどの模擬店がイタリアンを扱うようになり、
    両社がそれぞれのテリトリーで店舗をチェーン展開したことと相乗して、地元で広く親しまれるメニューとなった。

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